明治41年 4月 1日
倉敷町外5ケ村学校組合立として、倉敷町山の後に設立認可。
精思女学校と称する。
明治41年 4月 1日
― 校名のいわれ ―
「永遠の理想を追求する青春の陵(おか)という意味である」
上下左右の矢印は真なるもの、善なるもの、美なるもの、聖なるものへの憧憬を表し、時流に染まらず、常に高い理想を求めてやまぬ純真な若人の魂のシンボルである。
中は二つの分銅を十字形に組み合わせたものであるが、分銅は銅と錫の合金でできている。銅も錫も共にやわらかいが、一たび合すれば極めて硬い青銅となる。分銅は個人の精神の柔軟性と同時に団結の意志の強固を示すものである。
また、分銅は物の軽重を測るものであり、事の是非曲直のわかる叡智を持った人間になれとの寓意である。