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倉敷青陵高等学校の歴史

 

昭和35年ごろ

昭和45年ごろ

昭和50年ごろ

昭和60年ごろ

平成10年ごろ

平成25年

 

校名のいわれ : 永遠の理想を追求する青春の陵(おか)という意味である

 

 

校  章  

 上下左右の矢印は真なるもの、善なるもの、美なるもの、聖なるものへの憧憬を表し、時流に染まらず、常に高い理想を求めてやまぬ純真な若人の魂のシンボルである。
 中は二つの分銅を十字形に組み合わせたものであるが、分銅は銅と錫の合金でできている。銅も錫も共にやわらかいが、一たび合すれば極めて硬い青銅となる。分銅は個人の精神の柔軟性と同時に団結の意志の強固を示すものである。
 また、分銅は物の軽重を測るものであり、事の是非曲直のわかる叡智を持った人間になれとの寓意である

 

 

沿  革 

精思高等女学校
明治41年 4月 1日 倉敷町外5ケ村学校組合立として、倉敷町山の後に設立認可。
精思女学校と称する。
明治42年 3月31日 高等女学校に組織変更。精思高等女学校と改称。
明治45年 4月 1日 精思農商学校跡に移転。
大正 4年 4月 1日 補習科設置認可。

 

倉敷高等女学校

大正 9年 2月26日 倉敷高等女学校と改称。
昭和 3年 4月 1日

県営に移管、「岡山県倉敷高等女学校」と改称。

昭和13年 3月28日 校舎、現在位置に移転。
昭和23年 4月 1日 学制改革により新制高等学校となり、岡山県立倉敷精思高等学校と称する。

 

倉敷中学校

昭和19年 3月25日 学校設立の件、文部大臣から認可。岡山県倉敷中学校設立。
昭和24年 8月31日 高等学校再編成により岡山県立倉敷精思高等学校と岡山県立倉敷高等学校とが統合、岡山県立倉敷青陵高等学校と称する。
(美和校舎および富位校舎)

 

倉敷青陵高等学校

昭和25年 4月 1日 家庭課程を設置。
昭和27年 4月 1日 富井校舎を統合。
昭和35年 4月 1日 家庭課程を家政科と改称。
昭和37年 4月 1日 普通科、天城高等学校との二校総合選抜を開始。
昭和49年 4月 1日 普通科、倉敷天城高等学校および倉敷南高等学校との三校総合選抜を開始。
昭和55年 4月 1日 普通科、倉敷天城高等学校・倉敷南高等学校および 倉敷古城池高等学校との四校総合選抜を開始。
昭和59年 4月 1日 家政科募集停止。
平成11年 4月 1日 総合選抜廃止。学区制改変。
平成20年9月25日 創立100周年記念式典。